労働新聞 2002年10月15日号 青年

朝鮮民主主義人民共和国を訪ねて
相互理解の大切さで一致
敵対あおるマスコミに怒り

「近くて近い」日朝関係を

東京・学生  小笠原 博通

 去る8月後半、あるツアーに参加し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問しました。短い滞在で見たものは北朝鮮のごく1面に過ぎないとは思いますが、「近くて遠い」と言われる隣国の姿を、垣間見ることができました。
 平壌市内の光景は整然と区画された街並み(朝鮮戦争で徹底的に破壊されたためでもある)に白亜の建物が建ち並ぶ美しいものでしたが、一方で夜間は灯りも極端に少なく、電力事情の厳しさを実感しました。
 また、協同農場の見学に行ったグループは「目下のところ、農業の状況は相当に厳しい」との説明を受けたそうです。実際にバスの窓から眺めた水田の稲は、8月後半にしては生育があまり良くないように見受けられました。天候や土壌の問題はあるにせよ、米国や日本による一方的な経済制裁は、市民生活に大きな影響を及ぼしているのではないかと感じました。

元従軍慰安婦の話に胸痛む
 日朝間の歴史に接したことも、現地での重要な体験の1つでした。元「従軍慰安婦」のお話は悲惨を極めるもので、日本人の1人として胸を痛めました。朝鮮革命博物館では、日本では忘れ去られそうな過去の侵略が現代へと伝えられており、この国がよって立つ独立闘争の歴史を知ることができました。
 また、平壌外国語大学において、日本語を学ぶ学生たちと交流をもち、予想以上に率直に話をすることができたことも忘れられません。「日朝間では情報が非常に限られていて、お互いのことをよく知らない。交流を通じての相互理解が今後は大切だ」という点で現地学生と一致できたことが、最も印象に残っています。
 板門店の軍事境界線の訪問では、南北分断による緊張と対立の現場に意外にあっさりと(?)観光客が足を踏み入れられることに驚きを感じながらも、境界線をはさんで対峙(たいじ)する両国兵士の姿、そして「北」側から望む韓国側の大地を目に焼き付けてきました。
 北朝鮮の次に訪れた韓国・釜山での友好フェスティバルでは、小学生の女の子までが「私たちは南北の統一をこんなに願っているのに、米国のブッシュ大統領はなぜそれを邪魔するの」と発言する姿に接し、祖国統一を願う南北共通の思いを感じて心動かされました。同時に、南北分断は日本にも責任の一端がある以上、南北関係の進展を側面から支援する上でも、私たちが日朝関係進展への運動を進めていかなければならないと痛感しました。

北朝鮮敵視を続ける日本
 そして、旅行から帰国した、まさにその日に報じられた「小泉首相訪朝決定」のニュース、それから2週間余り後に実現した日朝首脳会談。
 私は、これがどういった方向に流れていくのかを固唾(かたず)を飲んで見守っていましたが、北朝鮮側が日本人拉致を認めるという思わぬ展開に驚きを覚えました。突然に家族を失い、行方もわからず長い歳月が流れ、そしてその死を知らされた家族のことを思うと、胸が痛みます。
 しかし、首脳会談以降の新聞・テレビをはじめとするマスコミの世論操作には、不安と怒りを感じるのです。「北朝鮮という国は日本人をかっさらい、そして死に至らしめたとんでもない国家であり、敵対的に見ていかねばならない」というのが主な論調でしょう。
 しかし、戦前戦中の日本は、朝鮮半島から150万人以上の人びとを強制連行し、過酷な労働に従事させてきました。多くは家族と無理矢理に引き裂かれたあげく、異郷の地での死を余儀なくされました。
 その責任を半世紀以上も認めていない日本が、今回のことを槍玉にあげて交渉を有利に進めようとする姿は、理不尽そのものです。
 現在の日本国内の論調には、そうした歴史への内省はみじんもなく、意図的に敵対感情をあおり、秋の臨時国会での成立を望む有事法制の根拠にこじつけたいのではないかと、腹立たしい限りです。
 日朝首脳会談に先立つ9月11日(折しもツインタワー崩壊の記念日)に「不審船」を引き揚げたり、アーミテージ来日、日米首脳会談などがめじろ押しでした。結局のところは米国の言われるままに事を進め、日朝関係をぎくしゃくしたものにもっていきたい日本側の意図が透けて見える気がします。
 今後の日朝関係を、本当に「近くて近い」国の関係にするためには、日本人の側が両国間の歴史を正しくとらえ、日本と米国の連動を見極め、一方的で危険なマスコミに流されずに正しい認識を広めていく必要があるのだということを、強く感じています。


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