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労働新聞 2017年4月5日号 投稿・通信

42年の組合活動を振り返って 
地域での運動に軸足移す


 今こそ「ニワトリからアヒルへ」

神奈川県・高木 健史

   私は三月いっぱいで、四十二年間勤めた市役所を退職した。
 最初の職場も最後の職場も、区役所の市民税の職場だ。最初は市民税の特別徴収の仕事で毎日ソロバンを使う仕事だった。ソロバンは小学校で習っただけで足し算と引き算しかできなかった。特別徴収の仕事は掛け算や割り算が必要で、計算するために最初は金額を一〇倍し、それから足したり引いたりと大変苦労した。現在それらの仕事は全部電算化され、端末に入力すればあっという間に計算してくれる。当時を考えると夢のようだが、それで仕事が楽になったかというと、そうではない。昔に比べて職員の人数が減らされ、入力の期限も厳しくなり、仕事はずっと厳しくなっている。今年はマイナンバー制度の関係で税務署から資料がなかなか来なかったため、例年以上に市民税の仕事は厳しくなった。職員は机に端末を三台並べ連日の超勤に耐えた。
 職場に入って二年目から青年部で組合活動を始めた。夏はキャンプ、冬はスキー、職場対抗のソフトボール大会や文化祭など、青年部活動も結構忙しかった。役所に入った若い人は、個人の出世のために管理職になるか、個人のため職場のため組合活動をやるか、どちらかだった。私は後者の組合の道を選んだ。
 私が活動を始めた頃は組合も活発で、役員にも尊敬できる人間がたくさんいた。私は青年部の学習会に参加して、どうして労働者は労働組合に結集するのか、なぜストライキで闘うのかなどについて学習した。また青年部で三里塚や狭山の集会に参加し、春闘の時期は支部の役員といっしょに区役所近くの旅館に泊まり込んだ。仕事は面白くなかったが、青年部や組合活動は面白かった。今だと信じられないが、支部や青年部の役員選挙も競争があり、春闘や確定闘争の時期はストライキもあった。
 印象に残る闘いは、一つは区役所戸籍課の昼休み窓口開設に対する闘いだ。この昼休みの窓口開設について、共産党系の組合本部は「公務員は全体の奉仕者だから住民サービスの向上のために昼休み業務は必要」と主張し、各区役所の戸籍課の人たちは「窓口職場で働く者にとって、昼休みは仕事がやっと途切れてホッとする貴重な時間であり、また組合の懇談会など全員が一同に会することができる唯一の時間」と主張、真っ向から対決した。この闘いは、党利党略で職場の労働条件を守ろうとしない共産党の組合運動に反対する闘いとして展開された。当時の私は戸籍課だったので、その昼窓闘争を全力で闘った。その中で、共産党の組合運動がいかに反労働者的であるかを確信した。また、共産党系の組合本部も一時期「昼窓反対」を言って闘わざるを得ない所まで追いつめたことで、職場の大衆運動の力を確信した。
 もう一つは労働戦線統一をめぐる闘いだ。一九八九年三月、共産党系の組合は自治労を離脱して、自治体連絡協、後の自治労連を結成した。私の組合でも一九九〇年六月、共産党系の本部が突然、自治労連に加盟する方針を提案、多くの組合員が反対しているのにもかかわらず強行採決で決めた。私はこの労線統一に対して「今までの総評や同盟の運動だけでは労働者の生活を守ることができない現実のなか、新たなナショナルセンターを結成して労働者と国民の力を結集し闘っていこうという運動だ。また、連合は日本の組織労働者の、それも基幹産業の労働者を多く組織している。この労働者の闘いがどのように発展するかが大きな問題だ」「昼窓闘争に対する敵対、スト権ストに対する敵対、そして自治体労働者奉仕者論という敵対、このような党利党略で運動を引き回す共産党に労働者の生活や権利を委ねることはできない」と主張し、この労線統一の闘いに全力で取り組んだ。新左翼系の活動家がどちらに付くかフラフラしている中で、断固として自治労運動を守って闘った。
 その後、私は職場を変わり、自治労運動の再建に努力した。そこは共産党が強い職場で自治労の組合員も少なく、なかなか苦労した。私は定期的にニュースを発行し、全員対象の職場懇談会を開き、困った時にすぐ相談できる組合をめざした。強権的な区長の時、合理化と人員削減の嵐が荒れ狂ったが、私は組合員と職場に依拠して闘い、何とかその攻撃を耐え抜き、その後に許した合理化もすべて前に戻すことができた。
 しかし、昼窓闘争では職場の大衆運動の大切さ、労線統一で民間労働者や地域住民と連携する大切さを学んだが、その後の組合活動ではそれらの教訓を十分に生かせず、開発事業の借金や返済(背景には米国からの要求)を理由とする合理化攻撃に十分対応できず、人員は減らされ、賃金は減らされ、職場の労働条件は悪化させられてしまった。
 この三月で私はその職場を退職し、これからは地域活動が中心となる。
 主な活動は、沖縄に連帯し日米地位協定の抜本改定をめざす運動だ。署名活動を行い、県知事要請を行った。二月十五日の県議会の代表質問では、県知事から「基地の実情を把握するための公務上の立ち入りや、日米合同委員会の合意の速やかな公表、さらに基地の運用に地元の意向を反映させるための仕組みなどを、地位協定に規定するよう求めていく。引き続き基地周辺住民の皆さんが安心して暮らせるように、地位協定の改定に向けて粘り強く取り組んでいく」「次回の渉外知事会の総会は夏頃なので、そこに合わせるように提案していきたい」などの答弁があった。
 しかし、刑事裁判手続きには回答がなく、県民の命と平和な暮らし、日本の主権を守るにはまったく不十分だった。運動をさらに拡大・強化するため各地各層で学習会を行い、労働組合で署名活動などの取り組みを強化する必要がある。
 組合員が減少し力が弱くなったといわれるが、総評が「ニワトリからアヒル」に変わっていったように、自治労や連合も地域で日本の進路の問題、日米地位協定抜本改定の運動に取り組むことによって、ニワトリからアヒルに変わっていく必要がある。


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